争いも病もなくしていくことは、決して難しくはない。<1628>

争いも病もなくしていくことは、
決して難しくはない。

<1628>


世界で唯一の、貴重な体験は、
もしそれが誤りであると感じたことであれば、
正し続け、二度と同じ誤りは犯さないことです。

のど元過ぎれば、熱さ忘れるではいけないでしょう。

人間界の常識が、自然界の常識であるとは限りませんし、
非常識極まりないことは、とても多いのが現状でしょう。

そもそも、人間が自然界の中心であるという認識から、
自然とはズレていると言えますから、
そこを根底に据えている限り、
不自然、自然界の非常識を人間が冒してしまうことが、
常態化してしまうものでしょう。

人間同士が、命を奪い合っていい。
と考えている人は少ないとは思いますが、
無意識のうちに、それに加担させられていることもあるでしょう。

現代社会では、先進国と言われている人たちの生活を維持すること、
その中で生活していくこと自体が、
世界のどこかの場所での、争いの要因になっているとも言えるでしょう。

たぶん、それを自覚している、先進国の人々は少ないでしょう。

少なくとも、人間以外の動植物は、人間のために犠牲になることは、
やむを得ないと考えている人は多いでしょうし、
そうではないと考えている人でも、生活実態が実際にそうなっていますね。

争い、病をなくしていくことが大切だと言われていても、
それは減るどころか、どんどん増える一方の人間界は、
もし、争い、病をなくすことを実現しようと考えるのであれば、
自分自身の生活を、根源から見直していくことでしょう。

そこには、必ず不自然な、自然界の非常識が存在しています。

そして、人間の叡智は、自然界の自然に沿って、
進化する道を模索していくことです。

今が立ち行かなくなるからと、誤りだとわかっていること、
コントロールできないとわかっていることを、
続けていくことは、愚の骨頂でしょう。

今は我慢しても、未来に渡って安心できる方法は、
いくらでも見つけることができるのが自然界ですから、
一人ひとりの才能、能力はその方向に活用していくことですね。

小さなアクションが、大きな過ちに結びついていくことは、
人間界の歴史を見てもたくさん起こっていることです。

しかし、貴重な経験をしていながら、
同じことを繰り返す可能性が高くなる方向に進んでいくことは、
退化していると言えるでしょう。

自然界は、本来レベルアップする、進化する世界です。
見せかけの成長や、自分がされて嫌なことを、
もっともらしい理屈をつけて低レベルな同じことを
繰り返さなければならない世界ではありません。

進化できる可能性を、一人ひとりが真剣に探し、
進化を実現していくために、命は授かっているものでしょう。

命は人間もそうですが、
自然界のどの命も軽んじられていいものはありません。

そして、自然界は個の投影が全体です。
人間界は、それを認識することなく、
少数の人の影響を受けて、個が知らないうちにできてしまって、
投影させられているというような、
自然界から見ると、非常にいびつで、不自然な状況、システムを、
さも先進的なものだと考えている、思い込まされている部分さえあります。

人間界全体を支配しているシステム自体が、
非常に未熟な人間界でのことですから、
不自然極まりないことは多いです。

ぜひ、それに気づいて、少しずつでも手放していってください。
不自然なものは、手放しても、
自然界で生きていくには、何の支障もないものです。

人間界から争いごとをなくすこと、
病をなくすことは、非常に簡単なことです。

一人ひとりが、目の前の競うことなども含めて、小さな争いを手放すこと、
自然に沿って、健康になっていくことを実践することです。

簡単なことが、難しいことになってしまっている人間界は、
それだけで不自然な世界ですね。

どうぞ、あなたの周りから、
どんな小さな争いも起こらないようにするには、
どうしたらいいのかを真剣に考え、感じ、実践してください。

答えは、たぶん自分自身が進化していくことだとわかるでしょう。

成長するのではなく、進化すること。
自然界の目指す方向に、ぜひあなたも沿って、
快適で、未来にもっと素晴らしい人間界を残していく、
礎をあなたの中から、身近に築いていってください。

争いも、病もない世界の実現が、
あなたの言動にかかっていることを感じて過ごす今日も、
素晴らしい一日になりますね!

(浜本哲治)

相棒の銀杏を昇っている凌霄花(のうぜんかずら)です。
相棒の銀杏を昇っている凌霄花 のうぜんかずら です