地に足をつけるとは、自然界の自然に沿っていくことだ、違いも全て受け入れて、この快適さを味わっていこう。<1542>

地に足をつけるとは、
自然界の自然に沿っていくことだ、
違いも全て受け入れて、
この快適さを味わっていこう。

<1542>


花が見えないのに、
実が成る無花果(いちじく)のように、
不思議な育ち方をする子は、
植物に限らず、あらゆる生き物にも、
見られることはありますね。

もちろん、人間にも、
その才能、能力の成長、進化の過程は、
人それぞれで、一律ではありません。

ただ、これを一律に、画一的にしてしまおうとして、
大きなストレスと問題を抱えてしまっているのが、
人間界と言えるでしょう。

違いを認めること、受け入れることが、
人間のこの先の進化には、
大きなキーワードになっていくでしょう。

人間界の常識に囚われたり、
自分の価値観だけにこだわったりして、
争いを起こしてしまっている人間界は、
自然界では、非常に滑稽に映ることでしょう。

例え子どもであっても、
親とは全く別人格なことはもちろんのこと、
価値観や性格も違います。

それを認め、受け入れていくことが、
親子ももちろんですが、人間同士、
あらゆる自然界の生き物たちとの、
共存に言えることでしょう。

基準や価値観を、
人間が定めたものの上に構築しているから、
不自然でおかしなことになるのでしょう。

自然界で暮らすのですから、
その自然界の根源、自然の摂理を基準にしていけば、
今の人間界の多くの問題は、雲散霧消しますね。

また、人間は、
自分たちが、自然界でいちばん優れた存在だと、
勝手に思い込んでいますが、
この思い込みも手放した方がいいでしょうね。

例えば、感情なども、人間だけのものではなく、
自然界の動植物、みんなに備わっているものですが、
人間ほど、感情に振り回されて、
自分をも、また自分以外のものを傷つけたりする生き物は、
自然界に他にはいないでしょう。

人間は、自然界の新参者ですし、
最も進化している生き物ではなく、
まだまだ、最も進化できる予知がある、
存在だと言えますね。

自然界の本質がわかってくると、
色んな本物が見えてきます。

いかに、本質、本物に気づき、
進化の道を歩み始めるか。

人類の分水嶺になるかもしれませんね。

自然界の本質に沿えなかった存在が、
どんどん姿を消していっている例は、
地球上の歴史でも明らかですからね。

人間だけは大丈夫と言えるほど、
自然界に貢献はしていませんね。
それどころか、地球の財産を、
蓄積するより、遥かに早いペースで使い果たし、
全てを破壊してしまいそうな勢いですからね。

どうぞ、まず、自分自身も、また自分以外の全てを、
ぜひ、認め、受け入れてあげてください。
そこに違いがあるのも当然として受け止めてください。

昨日と今日との違い、
自分と自分以外の違い。

そして、どうぞ、あなたの価値基準を、
自然界の基本ルールにしてください。

これができると、今の、今までの大半の悩みは、
霧が晴れるように無くなっていきます。

地に足をつけるとは、
自然界のルールに沿っていくことです。
人間界は、間違いなく浮き足立っています。

自然界にどっしりと着地して、
本当の自然に根を張る活動ができれば、
人生も、自然界で暮らす日々も、
ますます愉しくなっていきますよ。

その安定感、安心感を、
ぜひ、今日にも手に入れてください。
きっと、素晴らしい視界が拓けてきますね。

(浜本哲治)

無花果(いちじく)の花で、実です。
無花果 いちじく の花で、実です