雑草を排除しようとする感性が、
病や争いを引き起こしている。
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雑草は排除するもの。
という発想が、植え付けられているのが、
現代人でしょうか。
草も生えずに、土が剥き出しになっていたり、
人工的に直線的に、整頓されたように並べられた様子が、
切り揃えられた様子が、美しいとする感覚は、
今の人間界の不自然さを象徴するような価値観でしょう。
たぶん、意図的に育てようとしていない子は、
全て雑草として、見かけると引っこ抜いて、
またご丁寧に、それをゴミとして出してしまうことも多いようですが、
仮に抜いたとしても、自然の自然な循環を妨げないためにも、
その場に、そっと置いてあげて、自然に戻してあげてください。
雑草は、根こそぎ排除して、
燃したり、ゴミで出したりするのに、
最近では、例えば植木鉢や育てている子の周りの、
乾燥を防いだり、雑草を防ぐために、
マルチング材などを敢えて入れたり、敷いたりしていますが、
そんなことをしなくても、
抜いたり、刈ったりした子たちを、
その場に置いてあげれば、
そういう役目も果たしてくれますし、
肥料の役割も果たしてくれます。
あえて無駄なことをしなくても、
自然の循環を妨げないようにしてあげれば、
自然が必要なことは全てやってくれます。
そもそも、雑草を排除しようとする感性が、
争いなどの遠因にあるとも言えるでしょう。
自然界に、排除されなければならない子は存在しません。
あえて言えば、排除するという行為が、
必要だと思っている存在こそが、
淘汰される存在になってしまうのかもしれませんね。
人間の病の根源にも、
その感性の影響は大きいですね。
排除の論理が、病の根本的な治癒を、
妨げていることは間違いありません。
薬で叩き、排除することで、
病が治ることはあり得ませんからね。
その場しのぎ、一時的に排除できても、
根本的な解決ができていなければ、
必ず、またその現象は現れてきます。
雑草と言われている子たちの、
生態や美しい花を堪能してみてください。
たぶん、それだけで世界が大きく広がります。
そして、その子たちと共生する方法を、
ぜひ考え、感じてください。模索してください。
そういう発想、感性は、
あらゆる場面で、行き詰まりや壁を、
突破していくきっかけにもなるでしょう。
どうぞ、排除の論理、意識が芽生えたら、
それを手放して、共生の道を探ってください。
そこには、本当に素晴らしい道が必ずあります。
そして、一旦その発想、感性を持ってチャレンジを始めると、
人間界の不自然が、クリアに見えてきて、
その全ての解決方法も見えてくるでしょう。
不自然がいかに、進む方向を誤らせているか、
無駄なこと、不必要なことをさせているかに気づく今日も、
素晴らしい一日になることは間違いなしですね!
自然に沿っていくこと、沿おうとしていくことが、
どれだけ心身にも、心地良いものかを、
存分にお愉しみください!
(浜本哲治)
露草 つゆくさ の花です