自然界で目指すべき本来の夢へのチャレンジには、迷いや怖れは非常に小さなものである。大きな不自然なストレスは夢を検証してみることだ。<897>

自然界で目指すべき本来の夢へのチャレンジには、
迷いや怖れは非常に小さなものである。
大きな不自然なストレスは
夢を検証してみることだ。

<897>


どんなに転んで、擦りむいても、
半べそをかきながらも、
どこか希望の微笑みを宿しているような、
何かを純粋に、自分のものにしようとしている、
子どものように。

まだ現実になっていない夢へのチャレンジは、
多少の擦り傷は怖れずに、
夢中になって追いかけていくことです。

夢へのチャレンジには、年齢は関係なく、
乗れない自転車に、乗れるようになるには、
何度か転ぶことを覚悟するしかありませんし、
転ぶ恥ずかしさと、実現したい夢への想いの、
どちらが強いかだけでしょう。

分別は大切なことですが、
チャレンジ精神を失くすことと、
分別をわきまえることが、
同義になってはいけませんね。

進化は変化することですし、
夢へのチャレンジは、まだ実現していないことを、
実現することですから、
現状のままで、実現することはありません。

変化に摩擦は付きものですから、
擦り傷や摩擦を怖れていては、
とても夢の実現は叶わないでしょう。

ただ、自然界で本来目指すべき夢を持って、
チャレンジしていくことは、
全ての状態を、より良くするために、
進化を実現していくことですから、
現状を維持するためにも、
進化が必要な自然界では、
分別は、本来チャレンジに向かわせるものでしょう。

誰かに迷惑をかけることを怖れて、
チャレンジに二の足を踏むようであれば、
それは、夢が本来のものでないか、
チャレンジではなく、無理をしようとしていることを、
心が教えてくれていると考えた方がいいでしょう。

単なる変化のストレス、擦り傷は、
夢が実現するために、必然のものであって、
実現させることで、そのストレスを超えるものを、
与えられるものです。

どうぞ、チャレンジを怖れる気持ちや逡巡が、
何が原因で起こっているのかを、
充分に感じてみてください。

純粋に本来の夢を、強い思いで目指すところに、
迷いや怖れは、限りなく小さくなります。

迷いのないチャレンジで、
今日も夢に向けて、素敵な出来事を巻き起こす、
素晴らしい一日にしていってください。

(浜本哲治)