奪う者がいるから守るのではなく、分け合うことで自然の循環が成り立ち、奪い合う必要のない自然界本来の姿になる。<1074>

奪う者がいるから守るのではなく、分け合うことで自然の循環が成り立ち、
奪い合う必要のない自然界本来の姿になる。

<1074>


木守柿(こもりがき、きもりがき)という風習があります。
柚子(ゆず)などにもあるようですが。

柿の木になった実を、すべて収穫せずに、
木になったまま残しておくことですが。

来年の豊作への祈願とも、
野鳥のために残しておくとも言われている風習ですね。

分け合うのが、自然界の自然な姿ですが、
それができなくなっている人間界は、
やはり、どこか不自然でしょう。

いつの頃から、こんなにも奪い合うようになったのでしょう。

奪う者がいるから、守るのだ。
ということも言われていますが。

自然界の生き物たちとの関係を見ていると、
やはり、分け合うことを忘れてしまった結果、
奪われることになっているのは明らかでしょう。

たぶん、現代の人間界では、
例えば、作物などを動物たちと分け合うことは、
もったいないという感覚になるのでしょうか。

この感覚は、お金はもったいなくて、
時間は平気で浪費してしまう感覚と、
似ているような気がしますね。

自然の循環や自然界のルール、
自然に生かされているということを忘れてしまって、
人間界のローカルルールのために、
麻痺してしまっているのでしょうね。

作物などの自然の恵みは言うに及ばず、
人間のどんな創造も、自然界にあるものの組み合わせであり、
自然界から借り受けてやっているだけです。

それを、人間が独り占めして、
自然界の子たちと分け合うことを、
もったいないとする価値観は、
根本的に見直していかないと、
人間界も、ますます苦しむことになるでしょうね。

また、自然から預かっているものを、
自然にスムーズに循環させられないような、
物や環境を創ってしまって、
最終的には、自然に頼らざるをえない、
自然に大きな負担をかけてしまっている現状は、
どこか、幼い子どもが、
自分では片付けられずに、
散らかしっぱなしにしてしまう姿に、
似ているのではないでしょうか。

自然界の中では、人間はまだまだ幼子のように、
未熟な段階と言えるでしょうね。

幼子より、たちが良くないのは、
自分たちが自然界の頂点にいて、自然を支配していると、
勘違いして、したり顔をしているところでしょう。

ひとりの人間が、その生涯で、
地球上だけを見ても、
体感して、知り得る場所は、
ごくごく限られているように、
人間が自然界を知り得ている範囲は、
本当に限られたものです。

人間が成長、進化していくための恵みは、
自然界には無限にありますし、
しっかり片付けられる方法、
循環させられる方法も、
幼い人間が、まだ知らないだけで、
必ずあるはずですし、
循環させられれば、奪いあう必要もないほどに、
自然は恵みを与えてくれます。

今あるもの、自然の子たちとも分け合うべきものを、
血眼になって奪い合っている暇に、
もっと成長、進化に邁進していくことでしょうね。

自然界の基本的なルールは、
循環させることで、成長、進化するものですから、
才能や能力も同じですね。

変化を怖れ始めると、
成長、進化が途端にストップしてしまうように、
分け合うことをやめてしまうと、
才能も進化は止まってしまいます。

どうぞ、自然の恵みも、素晴らしい才能も、
分け合うこと、循環させることにチャレンジしてください。

幼子の人間界の進化は、
あなたの自然界の大きな循環を妨げずに、
スムーズにさせる能力とチャレンジにかかっています。

そろそろ、乳幼児から幼稚園レベルに、
人間界も進化させましょうよ。

まだまだ、進化の余地が果てしなくあることを、
しっかり体感して、道が見えてきたら、
今日一日も本当に愛おしい時間になりますね。

素敵で大切な一日をどうぞお愉しみください!

(浜本哲治)

そろそろ食べ頃になってきた柿です。
そろそろ食べ頃になってきた柿です