花であるか萼であるかは、
どうでもいいことだ。
それを届けて大切な人の幸せを、
実現できるかどうかが大事だ。
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秋には蕾を付けていた花水木ですが、
春になると萼が開いて、この萼が色づいてきます。
本当の花の蕾は、この萼の中にある、
小さなつぶつぶですね。
可愛らしい黄色い花も、
白とピンクに色づく萼も、
この子の素晴らしい個性ですね。
晩春から初夏の装いが本当に楽しみです。
花水木の花言葉は、
「私の思いを受けて下さい」「公平にする」「返礼」「華やかな恋」
花だと思っていたものが、
実は花ではなかった。
実や種子だと思っていたものが、
そうではなかったということは、
植物たちの中でもよくあることです。
これは、人間の才能の開花や夢の実現にも、
言えることかもしれませんね。
しかし、花であってもそうでなくても、
実はどちらでもよく、
その愛が、届けたい人に届くことが重要です。
これが、花だ実だと、
結構、どうでもいいことに囚われて、
それを輝かせるために、磨き込むことが、
疎かになっているケースは多いものです。
人間の身体のメカニズムでもそうですが、
何かの機能や役割の代役を、
他のものが立派に果たすこともよくあることです。
それだけ、自然界で生を与えられている者は、
応用力、柔軟性などのしなやかさや逞しさは、
兼ね備えられているものです。
大切なことは、その気になることです。
人間界の常識で、花であるか萼であるかは、
あまり大した問題ではありません。
それで、誰かを幸せにできればいいんです。
どうぞ、あなたが花を思えば、
それは花でいいでしょう。
その花を、どこまでも磨き込んで、
大切な人の幸せを実現してください。
あなたの素晴らしい愛、才能が、
花を超える花を生み出すことも、
決して不可能なことではありません。
常識、固定観念に囚われずに、
可能性を探りチャレンジしていく今日は、
どこまでも愉しめる一日になりますね!
常識超えを存分にお愉しみください。
(浜本哲治)
花水木 はなみずき の萼が開いてきました