花を咲かせることは手段であり、誰かの幸せを実現していくことが、目指すべき真の夢である。<1592>

花を咲かせることは手段であり、
誰かの幸せを実現していくことが、
目指すべき真の夢である。

<1592>


植物たちの花は、あくまでも過程であり、手段です。

過程や手段は、それを活用して、
夢の実現、目指す領域、到達点に、
辿り着けるようにチャレンジしてこそ、
意味や価値のあるものになっていきます。

また、そのチャレンジのなかにこそ、
幸せや充実感はあるもので、
過程や手段の中にも、それを目指すところにも、それはありません。

鬼百合の華麗な花だから幸せになれるのではなく、
どんな花であっても、誰かの幸せを実現していくという、
チャレンジの中に、それを目指す今があればこそ、
高い幸福感や充実感を得られるものです。

手段を得て、無理にそれを感じようとしても、
そこには、虚しさだけが残るだけでしょう。

このことは、自然界の道理ですから、
人間界もそろそろ気づいていって、
価値観や言動を変えていく必要があるのですが、
ただ、相変わらず、手段や過程の中に、
幸せや充実があると、考えている言動には多く遭遇しますね。

現実を見なさい。現実的であれ。
と言いながら、考えながら、幻想を追い求めている。
という、非常に滑稽な状態ですね。

子どもたちに、手段を目指させることを、
夢を目指すことと感じ違いさせることは、
子どもたちを、未来永劫苦しめてしまうことになります。

苦しむのが人生だ。
と言うのでは、あまりにも寂し過ぎますし、
愛に溢れた自然界を、理解していないと言えます。

本来自然界は、もっと愉しい世界です。
思考で無理に考えようとしなくても、
自然に笑顔がこぼれ、楽しくて仕方ないと感じられるほどに、
毎日、毎瞬を楽しめるものです。

そのコツは、至って簡単です。
思考も習慣も言動も、自然界のルールに沿わせることです。
たったこれだけで、どの瞬間を切り取っても、
愉しいばかりの瞬間になっていきます。

どうぞ、人間界のルールが全てと詰め込まれた思考で、
せっかくの愉しいだけの自然界を、
つまらなく、苦しい瞬間がたくさんある世界にしないでください。

苦しいと感じることが多い場合、
たぶん、手放した方がいいことがたくさんありますが。

まずは、手段を目指すことを手放すことですね。
これは、気づきさえすれば、すぐにでもできることですが、
これができるだけで、全く毎日が変わってきます。

ぜひ、人間界のドグマに囚われることなく、
もっと、あなたの、あなただけの人生を輝かせてください。

愉しいだけの人生にしていってください。
それは、今日からでもすぐに実践でき、感じられますね。

(浜本哲治)

鬼百合(おにゆり)の魅惑的な花です。
鬼百合 おにゆり の魅惑的な花です