排除の論理では、あらゆることが、早晩行き詰まる。認め、受け入れることが、共生の第一歩である。<14>

排除の論理では、
あらゆることが、早晩行き詰まる。
認め、受け入れることが、共生の第一歩である。

<14>


自然に生える雑草は、
人間に名前を付けてもらえずに、
「雑草」として一括りにされています。

そして、人間の都合だけで、
どうしても、植物と見なされないので、
取り除かれてしまいます。

ただ、今の地球の自然環境の破壊や、
人間界の、心身の病の苦悩が、
人間中心の、排除の論理が、
その要因になっていることは、
間違いのないことなので。

未来の子どもたちのためにも、
どうぞ、あなたは気づいていってください。

自然の雑草もそうですが、
人間界の中でも、
規則や規制で、排除の価値観が根強いですが。

戦争や、農薬と雑草や虫たちとの、
不毛で、解決しない争いと同じで、
この論理では、永遠に問題は解決しません。

お互いを生かし合ったり、
認め、受け入れていくことでしか、
根本的な、共に進化する道は、
見えて来ないでしょうね。

「共生」という言葉が、
盛んに使われるようになっていますが。

目の前の雑草を認め、受け入れ、
生かし合うことが出来るようになって、
初めて、真の共生の道を、
人間も歩み出せるのかもしれませんね。

今、目の前の雑草を、
引き抜いて、排除するのは簡単です。

でも、どこに行っても、
同じ問題は起こりますし、
世界中の雑草を排除することは、
まず、不可能なことです。

仮に、そう出来たとしても、
自然のバランスは崩れ、
もちろん、人間界も
存在出来ないことになりますね。

あなたの目の前で起こることも、
すべてにおいて同じですね。

どうぞ、目の前で起こることは、
すべて、認め、受け入れてください。

受け入れることは、
あなたを変えることではありません。

すべてを、したたかに、
あなたの夢の実現の、
糧にしていくことですね。

真の強さの発揮は、
どれだけのものを、
受け入れられるかでしょう。

キャパシティが大きくなれば、
途端に、毎日の景色が変わってきます。

常に、昨日と違う景色の一日を、
存分にお愉しみください!

(浜本哲治)

柿の木の次男、柿次です。
柿の木の次男、柿次です